2025年2月23日、レバノンのベイルート郊外にあるカミール・シャムーン・スポーツシティスタジアムにおいて、イスラエルの空爆で命を落としたヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ(Hassan Nasrallah)とハーシェム・サフィエディーン(Hashem Safieddine)の公の葬儀が行われました。イベントには数十万人が集まり、ナスララを追悼しました。彼は、イランの支持を受けるヒズボラの象徴的存在であり、イスラエルとの数十年にわたる対立の中でグループを指導してきました。
葬儀にはナスララの写真やヒズボラの旗を持つ支持者たちが集まり、ベイルート南部のヒズボラ支配地域に位置する55,000人収容のスタジアムは満杯でした。レバノンの治安当局によると、集まった人数は約100万人に達したとのことです。
ナスララが殺害されたことは、ヒズボラにとって非常に大きな打撃であり、これによりヒズボラの力は著しく弱体化しました。しかし、現リーダーのナイーム・カッセム(Naim Qassem)は、訃報に集まった人々に向けた演説で、ヒズボラは依然として “強い “と宣言しました。
ナイーム・カッセムは、”私たちは降伏せず、私たちの殺害と占領が続くのを黙って見ていることはありません” と述べました。
イスラエル軍は南レバノンからのほぼ完全な撤退を発表したものの、依然として空軍によるヒズボラのポジションに対する攻撃が続いています。
カッセムはまた、拘束されたヒズボラ戦闘員や民間人の返還を求め、ヒズボラはこの地域を占領とみなしていることを強調して、レバノン政府を通じて外交的な全撤退を求めていると述べました。
葬儀の日には、イスラエルの戦闘機がベイルート上空を低空飛行し”イスラエルによる死に”の声が響きました。イスラエルの外相であるイツハク・カッツ(Israel Katz)は、葬儀の最中の航空機の様子を示し、”イスラエルを攻撃するものは、その終わりが訪れる”と発言しました。
葬儀には、イランのアッバス・アラーキ(Abbas Araqchi)外相やイラクのシーア派政治家、軍指導者、イエメンのフーシ派の代表団なども参加しました。この大規模な葬儀は、ハッサン・ナスララの名のもと、ヒズボラが現在も抵抗の姿勢を保っていることを示す意図を持っています。
ナスララの死後の正式な葬儀は、イスラエル軍の南レバノンからの撤退を待って幾度も延期されました。この意味で、葬儀はヒズボラの弱体化や中東の政治情勢にも深く結びついています。彼の指導の下でヒズボラは大きな戦略的打撃を受け、政治的影響力の喪失が顕著になっています。
要するに、この葬儀はヒズボラの未来を見据えた重要なイベントであり、国内外での支持を再確認する機会となったのです。



